2026年10月1日、社会保険の加入要件から「月額賃金8.8万円以上」という条件が外れます。いわゆる「106万円の壁」の消滅です。壁がなくなるのに手取りは一旦減る人が出る、という少しややこしい改正で、報道でも「負担増」の一語でまとめられがち。ただ僕は、この改正をそういう損得の話として受け取っていません。壁に合わせて働く時間を削る、という設計から降りるきっかけとして、むしろ歓迎しています。以下、制度の中身を正確に整理したうえで、最後にもう一度その話を書きます。
よこまる
2026年10月1日、社会保険の「賃金要件」が撤廃される
根拠は2025年6月13日に成立した年金制度改正法(令和7年法律第33号)です。短時間労働者が勤務先の健康保険・厚生年金に加入するかどうかの判定要件のうち、賃金要件だけが外れます。
撤廃されるのは5要件のうち1つだけ
よく誤解されますが、要件がまるごと消えるわけではありません。改正前後を並べると、変わるのは1行だけです。
| 要件 | 2026年9月30日まで | 2026年10月1日から |
|---|---|---|
| 週の所定労働時間 | 20時間以上 | 20時間以上(変更なし) |
| 賃金 | 月額8.8万円以上 | 撤廃 |
| 雇用期間の見込み | 2か月超 | 2か月超(変更なし) |
| 学生でないこと | 必要 | 必要(変更なし) |
| 企業規模 | 厚生年金の被保険者51人以上 | 51人以上(2027年10月から段階的に縮小) |
つまり2026年10月以降、51人以上の会社で週20時間以上働いていれば、月給がいくらであっても加入対象。判定の主役が賃金から労働時間に移る、という改正です。「106万円の壁」が「週20時間の壁」に置き換わる、と言われるのはこのためです。
企業規模要件は2027年10月から10年かけて外れる
ここは混同されやすいところ。2026年10月に消えるのは賃金要件であって、企業規模要件ではありません。こちらは翌年から段階的に縮小していきます。
| 時期 | 対象となる企業規模(厚生年金の被保険者数) |
|---|---|
| 2024年10月〜 | 51人以上 |
| 2027年10月〜 | 36人以上 |
| 2029年10月〜 | 21人以上 |
| 2032年10月〜 | 11人以上 |
| 2035年10月〜 | 企業規模要件そのものを撤廃(全事業所) |
出典は日本年金機構「短時間労働者に対する健康保険・厚生年金保険の適用の拡大」。小規模な会社でパートとして働いている場合、自分の会社の番が回ってくるのは2027年以降になります。企業規模要件そのものの考え方は106万円の壁と企業規模要件の記事でも整理しています。
なぜ「106万円の壁」は役目を終えたのか
撤廃の理由は「働き控えをなくすため」とだけ説明されがちですが、もう少し即物的な事情があります。要件がほぼ機能しなくなっていた、という事情です。
最低賃金が上がり、週20時間働けば自動的に8.8万円を超えるようになった
日本年金機構の説明が端的です。「最低賃金以上で週20時間以上働く場合は、所定内賃金が月額8.8万円以上となるため、この要件は令和8年10月に撤廃予定です」。
計算するとよく分かります。週20時間を月に換算すると、20時間×52週÷12か月でおよそ86.7時間。月8.8万円に届く時給は、88,000円÷86.7時間で約1,016円です。全国加重平均の最低賃金がこの水準を超えた時点で、「週20時間以上」と「月8.8万円以上」はほとんど同じことを言う要件になりました。二重に置いておく意味が薄れた、というのが実務的な背景です。
それでも200万人規模が新しく対象になる理由
要件が空文化していたのなら、新たに加入する人はほとんどいないはず。ところが、この改正で新たに加入対象となるのは200万人規模と見込まれています。
理由は、8.8万円の判定に使う「所定内賃金」が、給与明細の総支給額とは違うからです。次のものは判定から除かれます。
- 賞与など、1か月を超える期間ごとに支払われる賃金
- 時間外・休日・深夜労働の割増賃金(=残業代)
- 通勤手当・家族手当・精皆勤手当
通勤手当が月1万円あって、残業も月に数時間ある。総支給額は10万円を超えているのに、判定に使う所定内賃金は8万円台。そういう人が、これまで要件から外れていました。時給が上がってもこの構造は変わらないので、対象外のまま残っていた層が一気に加入することになります。
残るのは「週20時間の壁」と「130万円の壁」
106万円が消えても、壁が全部なくなるわけではありません。残るのは2つ。1つは週20時間という労働時間の線。もう1つは、配偶者の健康保険の被扶養者から外れる130万円の線です。後者は勤務先の規模とは無関係に、いまのところ動きません。税金側の「年収の壁」とはまた別の話で、こちらは年収の壁178万円の記事に整理してあります。
手取りはいくら減り、年金はいくら増えるのか
ここからが本題です。新しく加入対象になったとき、実際に何円引かれて、将来何円返ってくるのか。協会けんぽの全国平均を前提に、40歳未満・賞与なしのケースで計算します(健康保険9.9%(2026年度)・厚生年金18.3%、いずれも労使折半なので本人負担は健康保険4.95%・厚生年金9.15%)。
【早見表】月額賃金別・本人負担と、将来ふえる年金
注意点が1つ。厚生年金の標準報酬月額には88,000円という下限があります。月8万円で働く人も、厚生年金の計算上は88,000円として扱われる。負担は増えますが、年金の積み上がりも実際の給与より少し有利に計算されます。
| 所定内賃金(月) | 改正前 | 本人負担(月) | 本人負担(年) | 1年の加入でふえる年金(年額・終身) |
|---|---|---|---|---|
| 8.0万円 | 対象外 | 約11,900円 | 約14.3万円 | 約5,800円 |
| 8.5万円 | 対象外 | 約12,400円 | 約14.9万円 | 約5,800円 |
| 9.5万円 | すでに対象 | 約13,800円 | 約16.6万円 | 約6,400円 |
| 12.0万円 | すでに対象 | 約16,600円 | 約20.0万円 | 約7,800円 |
月8万円で働いてきた人の場合、手取りは月におよそ1万2千円、年で14万円強減ります。これは小さい額ではありません。年収96万円の人にとっての14万円は、率で見れば15%近い。「負担増が深刻」と言われるのは、この層の話です。
厚生年金は約16.7年で元が取れる。しかも収入にかかわらず同じ
では、払った分はいつ返ってくるのか。厚生年金の部分だけを取り出すと、実はきれいな数字が出ます。
- 1年間に本人が払う厚生年金保険料=標準報酬月額 × 9.15% × 12か月=標準報酬月額の約1.098倍
- 1年の加入でふえる老齢厚生年金(年額・終身)=標準報酬月額 × 5.481/1,000 × 12か月=標準報酬月額の約0.0658倍
- 1.098 ÷ 0.0658 ≒ 16.7年
標準報酬月額が両辺に出てくるので、約分されて消えます。つまり月給がいくらであっても、本人負担分の回収にかかる年数は約16.7年で一定。65歳から受け取り始めるなら、82歳前後で払った保険料と受け取った年金が並ぶ計算です。厚生労働省の簡易生命表では65歳時点の平均余命が男性で約19年、女性で約24年。平均的な寿命まで生きるなら、回収して、さらにその先も受け取り続けることになります。
この計算に会社負担分(同額をもう半分)は入れていません。自分が出した分だけで見た回収年数です。標準報酬月額という物差しそのものについては、定時決定の記事で仕組みを詳しく書いています。
よこまる
金額に換算しにくい、3つの給付
回収年数の計算には入れていませんが、健康保険・厚生年金に入ると、老齢年金以外の給付も付いてきます。日本の社会保険が手厚いと言われる中身は、だいたいここです。
- 傷病手当金:病気やケガで働けない期間、標準報酬日額の3分の2を通算1年6か月まで。国民健康保険にはない給付です
- 出産手当金:産前42日・産後56日について、標準報酬日額の3分の2
- 障害厚生年金・遺族厚生年金:障害等級3級は厚生年金だけの給付で、国民年金には対応するものがありません
「働けなくなったら収入がゼロ」という状態から、「働けなくなっても3分の2は入る」という状態への移行。手取りの減少幅だけを見て損得を決めると、この部分が丸ごと勘定から落ちます。
損する人・得する人と、負担を下げる「保険料調整制度」
同じ「新しく加入対象になる人」でも、改正前に何号被保険者だったかで、受ける影響は正反対になります。ここを分けずに「負担増」と括ってしまうのが、いちばん雑な理解です。
配偶者の扶養に入っていた人(第3号)は、はっきり負担増
これまで保険料をまったく払っていなかった人が、月1万2千円前後を払い始めます。純粋な負担増です。しかも国民年金の基礎年金は第3号のままでも満額カウントされていたので、増えるのは報酬比例部分だけ。前掲の表でいえば、年14万円払って年5,800円の上乗せを買う取引になります。回収に16.7年かかるのは、この層です。
自分で国民年金を払っていた人(第1号)は、むしろ負担が減る
一方、扶養に入らず自分で国民年金と国民健康保険を払ってきた人にとっては、話がまるで違います。2026年度の国民年金保険料は月17,920円。単身で月8万円の収入なら、これに国民健康保険料が乗っていました。
これが厚生年金・健康保険に切り替わると、本人負担は月およそ11,900円。国民年金だけと比べても月6千円ほど下がったうえ、健康保険料も会社が半分持ちます。負担が減って、給付が増える。第1号だった人にとって、この改正はほぼ一方的に有利です。報道の「負担増」という見出しが、この層には当てはまりません。
保険料調整制度——本人負担を最大4分の1まで下げられる特例
あまり知られていませんが、2026年10月から「保険料調整制度」という時限措置が始まります。労使折半という原則の例外で、事業主が本人負担分を肩代わりして、加入直後の手取り減をやわらげる仕組みです。
- 新たに加入する短時間労働者のうち、標準報酬月額126,000円以下の人が対象
- 本人と会社の負担割合を、1〜2年目は最大で25:75まで動かせる(標準報酬月額が低いほど軽減が大きい設計)
- 3年目に軽減幅が縮み、通算3年で終了
- 将来受け取る厚生年金の額は減らない
- 会社が追加負担した分は後で調整されるので、会社の納付総額も増えない
- 手続きは事業主が年金事務所に申し出る方式(対象となった日から2年以内)
ただし2026年10月の時点では、対象は新たに任意特定適用事業所となる小規模な事業所に限られます。51人以上の会社で今回新しく加入する人は、この制度の対象外。2027年10月以降、企業規模要件の段階的な縮小に合わせて、36〜50人、21〜35人……と対象が広がっていきます。
ここは会社側が申し出て初めて使える制度なので、小規模な勤務先で新たに加入することになった人は、10月を待たずに一度確認しておく価値があります。制度の細部は運用で固まる部分もあるので、最終的には勤務先か年金事務所に当たってください。
まとめ|壁に合わせて働くのを、やめるきっかけにする
制度の整理はここまでです。最後に、僕がこの改正をどう見ているかを書きます。
正直なところ、僕は収入の壁がどうこうという話にあまり関心がありません。そこではなく、仕事を自分の人生の中で何と捉えるか、だと思っているからです。やりたい仕事をやればいいし、やりたいだけ仕事をすればいい。あと何時間で壁に当たるかを計算しながら働く必要が本当にあるのか、という話です。
その意味で、壁と時間だけを見て働く量を抑えてきた人にとって、この改正はそれを考えなくてよくなるきっかけになります。チャンスかどうかは人それぞれ。ただ、考え直すきっかけであることは間違いありません。
収入が低い人にとって負担増が深刻な問題であることは、数字のとおりです。それでも僕がいつも言うのは、負担増そのものを気にするより、その負担増をカバーしてあまりあるくらい稼ぐには何をしたらいいか、そのために自分へどんな投資をして、どんな努力をしたらいいか。そちらを考えられたほうが、人生は楽しくなるということです。
日本の社会保険は、驚くほど手厚くできています。これまで厚生年金に入れていなかった人がそちら側に入れるというのは、それ自体メリットが大きい。手取りが減る人がいるのは確かですが、それによって守られる自分の人生は、かなり大きなものです。軽くなったリスクにレバレッジを利かせて、自己投資のチャンスに変換できるか。大事なのはそこだと思います。
そしてもう一つ。せっかく仕事をして何かを見出したのなら、税金でも社会保険でもケチケチせずに、しっかり払う。自分が生まれ育って、いま生きているこの社会に還元していく。人から与えられるのを待つのではなく、与える側のマインドになったほうが、結果として豊かに生きられるんじゃないか。壁の話をするたび、僕はどうしてもそう思ってしまいます。
よこまる
10月からの3か月で、まず確かめておきたいのは3つ。自分の勤務先の厚生年金被保険者が51人以上かどうか。自分の週の所定労働時間が20時間以上かどうか。そして給与明細の総支給額から、通勤手当と残業代を抜いた所定内賃金がいくらか。この3つが分かれば、自分が対象になるかは判定できます。まずは給与明細を1枚、手元に出すところから。
※本記事は執筆時点の情報にもとづきます。税制・制度は変わることがあるので、最新は国税庁等の公式情報でご確認ください。一般的な情報提供であり、個別の税務相談ではありません。
note には、仕事やキャリアの考えごとを書いています
公認会計士・税理士として実務で見ていること、キャリアで迷ったこと、お金との距離感。答えの出ていない話も含めて置いています。

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