年金の繰下げ受給は、月0.7%増額・最大84%増という数字だけ見ると「待った者勝ち」に見えます。ただ、条件次第では得られるはずだった上乗せが消えるケースもあるのが実情。数字の前に、まず僕の立場をはっきり言っておきます。
とはいえ、繰下げそのものを否定しているわけではありません。8月から9月にかけて「ねんきん定期便」が届き、老後の受け取り方を見直す人が増える時期。せっかく見直すなら、増額率だけでなく見落としやすい落とし穴まで含めて材料を揃えておきたいところです。特に共働き夫婦は、片方の年金額だけで判断すると読み違えることがあります。
繰下げ受給の基本|66歳〜75歳、月0.7%ずつ増える
公的年金は原則65歳から受け取りますが、66歳〜75歳の間で1か月単位に繰り下げることができます。繰り下げた月数×0.7%が、生涯にわたって年金額に上乗せされる仕組みです。
増額率は最大84%、一生涯続く
75歳まで繰り下げると120か月×0.7%=84%の増額です。65歳で受け取るはずだった年金額が、ほぼ倍近くになって一生涯続きます。この「一生涯」という部分が繰下げ最大の魅力です。たとえば65歳時点の年金見込み額が年180万円の人なら、70歳まで5年(60か月)繰り下げるだけで42%増の約256万円、75歳まで待てば84%増の約331万円になります。1か月単位で選べるので「73歳まで」のような中間地点で止める選択も可能です。
損益分岐点はおよそ11年11か月
繰下げ受給には、受け取り始めてから65歳受給を選んだ場合の累計額に追いつくまでの「損益分岐点」があります。繰下げ月数によらず、受給を開始してからおよそ11年11か月で逆転する計算です。つまり、受給を始めた年齢からその期間を生きられるかどうかが、実質的な判断材料になります。
共働き夫婦が見落としがちな3つの落とし穴
増額率だけを見て「とりあえず繰下げよう」と決めると、共働き夫婦は特に次の3つを見落としがちです。
①加給年金は厚生年金を繰下げている間は支給されない
老齢厚生年金を受け取り始める時点で配偶者が65歳未満なら、家族手当のような位置づけで「加給年金」が上乗せされます。金額は受給権者の生年月日に応じて幅がありますが、条件がそろえば年額40万円程度になることもある、決して小さくない金額です。ところが、老齢厚生年金を繰り下げている間はこの加給年金が支給されません。繰り下げても加給年金分が増額されるわけではなく、単純に受け取れない期間が発生するだけ。年齢差のある夫婦ほど、この影響は大きくなります。
②遺族厚生年金は「増額前」の金額が基準になる
繰下げによって増えた老齢厚生年金を受け取っている人が亡くなった場合、残された配偶者に支給される遺族厚生年金は、繰下げで増えた金額ではなく「本来(繰下げ前)の老齢厚生年金額」をもとに計算されます。つまり、繰下げによる増額分は遺族年金には引き継がれません。長生きする前提で繰り下げても、万一のケースへの備えという意味では効いてこない部分がある、ということです。
③老齢基礎年金と老齢厚生年金は別々に繰下げられる
あまり知られていませんが、老齢基礎年金と老齢厚生年金は別々に繰り下げるかどうかを選べます。たとえば「厚生年金だけ65歳から受け取り、基礎年金だけ繰り下げる」という選択も可能です。加給年金を確保しつつ増額のメリットも一部取りたい人にとっては、この使い分けが実務上のポイントになります。
3タイプ別・繰下げ戦略の考え方
同じ「共働き夫婦」でも、年齢差や働き方によって最適な判断は変わります。ざっくり3つのタイプに分けて整理しました。
| タイプ | 特徴 | 加給年金の影響 | 繰下げ判断の目安 |
|---|---|---|---|
| 共働き夫婦(年齢差小) | 夫婦ともに厚生年金あり、年齢が近い | 影響は限定的(対象期間が短い) | それぞれの健康観・資産状況で個別に判断しやすい |
| 年齢差夫婦 | 受給権者と配偶者の年齢差が大きい | 加給年金の対象期間が長く、影響が大きい | 厚生年金は据え置き、基礎年金だけ繰下げる選択肢も検討 |
| 専業世帯(片働き) | 配偶者が第3号被保険者中心 | 加給年金の恩恵を最も受けやすい | 繰下げ前に加給年金の総額を必ず試算 |
何から手をつけるか
まず「ねんきん定期便」と「ねんきんネット」で見込み額を確認
50歳以上に届くねんきん定期便には、65歳から受け取る見込み額が記載されています。「ねんきんネット」を使えば、繰下げた場合の見込み額もシミュレーションできます。まずは自分の数字を具体的に把握するところから始めてください。
配偶者の年齢差と加給年金の有無をチェック
次に、配偶者が自分より年下で65歳未満の期間があるかどうかを確認します。該当するなら、加給年金の総額(対象期間×年額)を試算し、繰下げによる増額分と比べてみることが欠かせません。たとえば配偶者が5歳年下なら、加給年金の対象期間は5年。年額40万円なら合計200万円が「繰り下げると受け取れない金額」として天秤に乗ります。ここを飛ばして「増えるから繰り下げよう」と決めるのは、片方の情報だけで判断しているのと同じです。
特別支給の老齢厚生年金がある人は対象外
1961年(女性は1966年)より前に生まれた人の一部には「特別支給の老齢厚生年金」が65歳前から支給される場合があります。これは繰下げ制度の対象外で、65歳到達後にあらためて本来の老齢厚生年金・老齢基礎年金の受け取り方を選ぶ形になります。世代によって前提条件が変わる部分なので、自分がどのルールに当てはまるかは日本年金機構の「ねんきんネット」か年金事務所で確認しておくと安心です。
数字の面から言えば、繰下げは「長生きするほど得」な制度です。ただ共働き夫婦の場合、加給年金と遺族厚生年金という2つの見落としが、その損益分岐点の計算をひっくり返すことがあります。僕自身は退職金も一時金派で、健康に使える時間を優先する考え方の人間です。それでも年金の繰下げを頭ごなしに否定はしません。数字を全部並べたうえで、それでも「待つ」を選ぶなら、それは十分に合理的な判断だと思います。
※本記事は執筆時点の情報にもとづきます。税制・制度は変わることがあるので、最新は日本年金機構等の公式情報でご確認ください。一般的な情報提供であり、個別の年金相談ではありません。
note には、仕事やキャリアの考えごとを書いています
公認会計士・税理士として実務で見ていること、キャリアで迷ったこと、お金との距離感。答えの出ていない話も含めて置いています。

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